cluck の家

cluck(コッコ)は雌鶏の鳴き声。米俗で「まぬけ」という意味もあるようです。そんなコッコ(私)と子供達のお家です。

『いじめって何だろう?』

前回ブログで・・

 

『少し前に娘(小6)から

「いじめられてる子が居たら、ママだったらどうする?」と聞かれた。』

 

から始めたが、途中で2年前の回想に入ってしまい、話しが逸れた。

ここで話しを戻す。

 

娘には、

「いじめられてる子が安心出来る場所になってあげる(一緖にいじめる側に入らない事)。」

と答えた。

 

後日、娘を含めた3人(女の子2人と男の子1人)が、いじめられてる子から「どうしよう。」と相談された。

内容は、怖いグループ(女の子4人)が家にまで来る。家の中に逃げ帰るとピンポーンされ、親に知られたくないから呼び出しに応じる。学校でも泣くまで?、気がすむまで?、悪口を言われたり、責め続けられるらしい。

 

女の子は特にグループで固まりやすい。クラスの殆どの女の子は特定の子といつも一緒に行動する。そして、殆どの子が「1人の子がグループから外れ、泣いてた、泣かされてた。それが小5の終わりから続いている。」事を知っているが、口出ししない。

結局、相談されたのは、固定の女の子グループに入らず、男の子とボールやゲームで遊ぶ「無所属」の女の子2人と、たまたま居合わせた男の子1人だった。

 

相談された子3人は話し合って、

「いじめられてる子を1人にしない様にしよう。」

を決めた。

それを聞いた私は、いじめとは違うが最近やってたアニメ『僕だけがいない街』(漫画。最近、実写版映画にもなった)を思い出した。

 

直後、学校で「いじめアンケート」が実施された。定期的な物だったのか?。誰かからの連絡による物か分からないが、クラスアンケート結果で「いじめを見た・聞いた」の回答が多数あったため、急遽学級会が行われた。

 

女子は教室、男子はコンピュータ室(そっちは、殆ど遊びだったらしい)に分けられ、教室には女子生徒と先生2人。

直ぐに、いじめられてる子といじめてる子の名前があがったらしい。

いじめてると名前があがった子供たちは

「いじめてた訳じゃない。聞きたい事があったから聞いてただけ。」と泣きながら言ったそうだ。

 

最後は、先生方の判断で、

いじめてると言われた子供たちは、

「いじめられてたと言われた子に、聞く時に言葉がキツくなった事を謝る。」

その他の子供たちは、

「いじめてると言われた子たちに、いじめてると誤解した事を謝る。」

で、全員が謝って終わったらしい。

 

結局、『学校でいじめは無かった。』事になった。

 

子供たちには疑問が残った。

「何を聞きたかったんだろう?。」

「何で何回も泣かせたんだろう?。」

「何で家にまで行ったんだろう?。」

「いじめって何だろう?。」

 

私は、それを聞いて釈然としなかったが、「今後、その子が泣かされなくなるとイイね。」と言った。

(何で、全員が謝らなければならないんだ?。)

(いじめてると名前のあがった子供たちは、そんな話しを親にしないだろう。親は何も知らずに「自分の子供はイイ子。そんな事はしない。」と言い続けるんだろうな。)

その後、配布された「学年だより」「学級だより」には、「いじめ」についても、アンケートについても、急遽行われた「学級会」についても何も書いてない。何もなかった事になっている。

 

大人の都合で「ここに、いじめは無い。」とされ、自分たちの行為が幸いにも無かった事にされた子供たち。理不尽な理由で謝罪させられた子供たち。

納得いかないが、多くの大人が選択する結果。

納得いかないが、子供たちは、その経験を通し、時には繰り返して成長し、大人になっていく。

 

『いじめって何だろう?』